花ももみぢも思ひ描けず:形式、それから朗読速度

 藤原定家に〈見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ〉という短歌があって、よく〈「花ももみぢも」と言われた段階で読者はそれらをイメージし、「なかりけり」と否定されてもイメージは残ってしまう。その残り香を味わう歌である〉と評されている。いま振り返るに私がこの種の評にはじめて触れたのは学校の現代文の試験で読んだ三島由紀夫の文章だったと思うが、以来たびたび類似の評を見聞きして、そのたび居心地の悪さを感じてきた。

 というのも私自身はそんなに繊細に味わえなかったからである。上の句を一息に読みくだし、その間ただ字面を追うばかりで映像的想像力を働かせもしないので、〈ああ、何もないね〉と、全くの否定の歌と思っていた。何もないのではなく「あきの夕ぐれ」で「浦のとまや」があるに決まっているのだが、季節の景への愛着薄い子供でましてや「浦のとまや」に関心などなかったから、ごく自然に読み飛ばしたものらしい*1。後年、塚本邦雄がもっぱら「氷の刃さながらに置」かれた第三句のみに焦点をあてて、「冷酷」「むしろ余情すら払拭した」と述べているのを読んだときには、ああ仲間がいたとほっとしたものだった*2

 

 子供のころ、自分は言葉を読むのが得意なのだと思っていた。周囲の人々は、〈何が語られているか〉に惑わされて〈いかに語られているか〉という形式フォルムにまるで注意できていないように見えた。内容メッセージが言葉という媒体メディアにより伝えられるとして、内容に気を取られて媒体を透明化してしまうのでは、媒体が言葉である意味はない。実際にそこにあるのは内容ではなく媒体の方なのだから、機序を知り十全に楽しむには不透明な言葉そのものを鍾愛するに如くはないと思っていた*3。自分にはどうもそれが他人よりよくできるようだった。私たちの前にあるのはイメージではなく文字なのに、王様は裸だとなぜ気づかないのだろうと、コミュニケーションの道具という言語観を馬鹿にしていた。

 自分が〈内容に惑わされず媒体に着目できる〉のではなく〈媒体に駆動され内容を幻出させる想像力に乏しい〉だけなのかもしれないと気づいたのは、『グラモフォン・フィルム・タイプライター』という本を読んだときだった。文字で世界の全てを表せた、あるいは楽譜で音の全てを表せた19世紀の人々のまえに、たとえば蓄音機が出現する。ために、文字に包含されないノイズ、意識に包含されない無意識、象徴界に包含されない現実界、といった世界認識の様態が発明されてしまう……たしかそんなことが書いてあったのではないかと思う。

 当時はこの[文学と呼ばれる]天国はおそらく、メディアに馴致された今のわれわれの感覚が夢みる以上に、はるかに現実のものであったろう。ヴェルテルの読者でヴェルテルの後追い自殺をした連中は、正しい読み方をしていたのだ。つまり彼らの主人公ヒーローを現実の眼にみえる世界において、小説の言葉どおりに眼にしていたにちがいないのだ。*4

 言語とは単語を憶えていて意味を見失うか、それとも逆に意味を憶えていて単語を見失うかという二者択一しか許さないものだが、それと同じことなのだ。[中略]時間的に連続しているあらゆるデータの流れを、書物がカヴァーして記憶しておかなければならなかったあいだは、書物の単語は、官能と回想の過剰にうちふるえていた。読む行為のあらゆる情熱は、文字と文字のあいだ、行と行のあいだで白昼夢に耽ることに賭けられていた──ロマン主義文学の可視的世界、あるいは可聴的世界という白昼夢に。*5

 規格化されたテクストでは紙と身体、書字と魂〔心〕は別れ別れになる。タイプライターはいかなる個人も保存しないし、その印字はいかなる彼岸も伝達しない。彼岸はもはや、完全な文盲だけが幻視できるものになり下った。[中略]じっさいに眼にみえる、あるいは耳に聞こえる世界を言葉によって構築するという夢は、もうだれもみることがかなわない。歴史的には同時に発明された映画、蓄音機、タイプライターによって、視覚と聴覚と書字というそれぞれのデータの流れは分断されるとともに、おのおの自立することになった。*6

 小説を真に受けて自殺したロマン主義者、あるいは識字以前、祭壇画を見てうごめく地獄や聖者の音声おんじょうに打たれた民にまで心を遊ばせてもよいのかもしれない。どうして彼らがそれほど騙されやすかったのか、露呈している媒体に気づかないのか、私にはよく分からなかった。内容の現前を、現に私に対して働いているものと同程度にしか想定していなかったから。実態は異なる。今日、私の貧弱な想像力は内容を幻出させえず、媒体が私のまえに露呈する。けれども彼らは、内容を豊穣に、まさに体験していた。

 魔法はある日から弱まって、あらゆるものに変化へんげする豪奢な衣装をまとっていたはずの王様、文字が、裸であるとの噂が広まっていく。魔法全盛の時代を知らない私は得意になって、〈だって、ただの活字じゃないか!〉と叫ぶ。けれども私が気づかなかったのは、魔法を解いた原因が知性の前進ではなかった可能性だ。絵画が絵画としての自意識に目覚めたのは写真の発明の時代だった*7。〈真を写す〉とは大した訳語だが、ともあれその写真に対比して、絵画なるものが平面的な絵の具のしみでしかなくなったところから現代のモダン絵画は始まる。また文芸に目を戻すならば、マネの挿絵入りでポー「大鴉」の翻訳を刊行したマラルメの「文学とは、二十六の文字からなるという以上でも以下でもないという」*8直観を理論化したロシア・フォルマリズム登場の時代とは、小説にかわる大衆の娯楽として映画が登場した時代ではないのか。一度映画を知ってしまえば、絵画や小説はもはや動かなくなる。テレビジョンから流れるソープ・オペラに首ったけのエンマ・ボヴァリーは叫ぶだろう。〈小説? あんなもの、ただの活字じゃないですか!〉

 魔法を魔法と知れるだけ知性が進んだなら結構なことだが、媒体の趨勢に応じて魔法に騙されえないまで想像力が衰えたに過ぎないなら、踊らないだけ損した阿呆ということになりかねない*9。そして頭の程度は変わらないから、いざ内容の魔力が猛威をふるえばあっさりと絡めとられる。その意味では、形式を正確に読み取る目すら備えていないのだ。王様は裸だと笑った子供は、「王様」なる地位そのものが不可視の衣装と同じく社会的に幻出されるものだということに、ついぞ気づかなかったに違いない。

 もちろんだからといって、形式への執着を捨てようというわけではない。捨てられるものとも思えない。でなければ前回の記事のようにはならない。ただ、たとえば言語遊戯の達人であったナボコフは一方で、『アンナ・カレーニナ』を読むため同時代の列車の室内構造を調べ*10、あるいは作家志望の青年に窓のむこうの樹を示して〈あの樹の名前が分かるかい、樹の種類が見て分からないようでは君は作家にはなれないよ〉と述べたという*11。また吉田健一は、文学は言葉の問題であると述べながら、再現に過ぎない文学を「創造に取り違えるまでに至った」ジョイスを失敗と断じていた*12。釈然としなかったそれらの態度が、キットラーによってようやく私の腑に落ちた気がする。

 

 ところで冒頭の短歌に戻ろう。媒体による規定というなら一つ考えられるのは、読むスピードの問題だ。私の呼吸は「一息に読みくだし」と述べたとおりだが、短歌──というよりも和歌が本来朗々と詠み上げられるものならば、第二句にも下の句にもそれぞれ相応の時間とどまることになる。一音一音しかと響かせられる享受の場で、はたして「切つて棄てる烈しい語調」*13とする解釈が成り立ちえたものかどうか。長い下の句に「余情」を感じぬことが可能だったかどうか。こうしてみれば、享受の速度そのものによって解釈が偏向していないとも限らない。

 無論話す速度そのものが古今で極端に異なるということはないと思う。なにしろ井原西鶴は一昼夜で俳諧二万三五〇〇句を吟じたそうだから、江戸時代人もその気になればよほど早口だったらしい。ただ以前たまたま与謝野晶子北原白秋斎藤茂吉による自作歌朗読音声を聞いたことがあり、その異様さに驚いた記憶が、定家の歌について思い巡らせているうちに甦ったのだった。探してみると国立国会図書館デジタルコレクション・歴史的音源内を「自作短歌朗読」で検索することで、上記三人を含む九人の近代歌人による1939年4月発売の朗読を聴くことができる。

 結論からいえば、時代の特性よりも個人差を意識させられる。北原白秋がおそらくいかにも朗吟らしいのだろう独特の節回しを利かせており、ここに誇張された形で九人中の多数派が表現されていると見てよいだろう*14。対して最年長の佐々木信綱が、音長の一定と高低の自然、句ごとの簡潔な間によってもっとも〈読む〉に近い現代人に馴染む〈詠み〉を示し、また古代歌謡に親しみ多行・分かち書きを用いた釈迢空折口信夫)もかなり落ち着いた詠みぶりなのは、意外の感があった。与謝野晶子は句間のない等速のうえ声が下の句で裏返るような型をとっており、奇妙な印象を与える。類がないのは斎藤茂吉で、二音ずつをはじき出すようなその孤立した詠みを聞くと、当人が短歌朗読に懐疑的だったのが納得される*15

 茂吉が朗読に懐疑的だったのは、肉声が内的な音調を十分に再現できず、かえって微細な点の理解を妨げると考えていたためらしい。してみれば必ずしも、朗読がただちに各人の韻律感覚を反映しているとは言い切れない。しかしともあれ、過去作品を享受する際、罪のない空想を楽しむ種にはなろう。

*1:吉川宏志の短歌をめぐる読解の分裂について、丸太洋渡が次のように述べていたのが思い出される。

「加えて、自然物への愛着の低下みたいなものも要因として考えられそう。「花水木の道」が効いてくるのはやはり告げられたルートで、告げられなかったのだとしたらそれはどうでもよくなってしまう。写生の文脈や俳句の季感から離れがちな現代短歌の空気に慣れると、「花水木の道」にはそこまでウェイトをおかず、後半の措辞をメインにしてしまうのかも。」

*2:『定家百首・雪月花(抄)』講談社文芸文庫、2006年、9頁。同書からの引用に際しては適宜字体を改めた。

*3:「我々は或るものに打たれるとか、惹かれるとかした時、その原因を求めてその印象を与えたものの正体を探り、そうして得た結果を整理することで我々が受けたもとの印象を再現することを望む。それを言葉でするのが文学であって、その中でこれを意識的に行う形式が批評であると考えるならば、批評と呼んで差し支えない作品を大概この形式に含めることが出来る。」吉田健一「飜訳論」『訳詩集 葡萄酒の色』岩波文庫、2013年、293頁。

*4:フリードリヒ・キットラー石光泰夫・石光輝子=訳『グラモフォン・フィルム・タイプライター』筑摩書房、1999年、22頁。なお以下引用文中、角括弧[]部分は引用者による注記、亀甲括弧〔〕部分は原文のまま。

*5:同23頁。

*6:同29頁。

*7:「やがてポータブル・カメラが作られ、スナップショットが撮れるようになり、それと時を同じくして印象派の絵が登場したのである。[中略]その上、写真の普及は画家たちを独自の探究と実験に駆り立てることになった。絵よりもカメラの方が安くやれるような仕事は、画家がやる必要は無くなったのだ。[中略]実際、写真の発明がもたらした衝撃をぬきにしては、近代美術の現状は考えられない。」E. H. ゴンブリッチ『美術の物語 ポケット版』ファイドン株式会社、2011年、401頁。

*8:キットラー前掲書、30頁。

*9:「しかしこれは本なのだろうか。少なくとも本の方では、これは『世界の果ての庭』なのだと主張している。本の主張を真面目に受け取るならば、これは本ではなくて庭である。[中略]本を庭と取り違えるようでは日々の暮らしが成り立たない。でも今問題は逆である。庭を本と間違えることはありえないのか。恋人を狐と間違えるのはかなりまずいが、狐が恋人に見えるのはただの狐の技である。」円城塔「解説」西崎憲『世界の果ての庭 ショート・ストーリーズ』創元SF文庫、2013年、227頁。

*10:小笠原豊樹=訳『ナボコフロシア文学講義 下』河出文庫、2013年、178–9頁。また同148頁では次のように述べている。

「あなた方のなかには、私やトルストイがなぜこんな下らないことにこだわるのだろうと思う人がいるかもしれない。芸術家というものは自分の魔術、すなわちフィクションを現実的﹅﹅﹅に見せるために、時折、トルストイがやったように事実を引用し、特定の明確な歴史的枠組を作るのである。」

*11:秋草俊一郎「科学の興奮と詩の精密さ──ウラジーミル・ナボコフの文学」東京大学教養学部=編『知のフィールドガイド 分断された時代を生きる』白水社、2017年、103–104頁。

*12:吉田健一『英国の近代文学岩波文庫、1998年、280頁。

*13:塚本前掲書、9頁。

*14:なお今FNNプライムオンラインによる2020年の歌会始の動画を部分的に視聴したところ、これは九人のいずれとも全く別物である。異様に緩やかであり、付け加えるなら句の別が重視されている。

*15:品田悦一『斎藤茂吉 異形の短歌』新潮選書、2014年、207–216頁。