「だめ。全く問題外。[中略]つまり──」
彼女は言葉を探した。私は頭の中でその言葉を見つけてやった(「あたしの心をめちゃめちゃにしたのは
あの人 なの。あなた はあたしの人生をめちゃめちゃにしただけ」)。*1"No," she said, "it is quite out of the question. [...] I mean─"
She groped for words. I supplied them mentally ("He broke my heart. You merely broke my life").*2
ウラジーミル・ナボコフによる長篇小説『ロリータ』終盤の一節。物語展開を明かして『ロリータ』未読者の興を削ぐのは本意ではないが、大雑把に説明すれば、語り手ハンバート・ハンバートが虐待を加えていた愛する娘ドロレス・ヘイズに明るく拒まれ、別れることになる場面だ。
山尾悠子風にいえば、一節の比重はもちろん括弧の外にある*3。「あたしの心をめちゃめちゃにしたのはあの人なの。あなたはあたしの人生をめちゃめちゃにしただけ」という言葉がいかに華麗でかつ的を射ていようと、重要なのはその台詞がドロレスは口にせずドロレスが知ることもない、ハンバートの言葉である点だ。一冊を通じてロリータというドロレス・ヘイズの歪んだ像を織りあげるのと相似して*4、ここでハンバートは湧き出づるまま、ドロレスの代わりに「言葉を見つけて」しまう。そしてその綺羅のすべらかな美しさがあるいは読者の目を奪い、実のところドロレス自身とは関係のない、ハンバートに
けれども同時に、ここに読み取られるのは高所で盤石に言葉の主権を握る
『ロリータ』の最初のかすかな鼓動を私が感じたのは、一九三九年の終わりか一九四〇年の初めで、場所はパリ、ちょうどひどい肋間神経痛に襲われて伏せっていたときのことである。記憶しているかぎりでは、最初の霊感の震えはどういうわけか新聞記事によって引き起こされたもので、その記事によれば、植物園の猿が何カ月も科学者によって訓練された後、動物としては初めて木炭を手にして絵を描いたというのだ。そのスケッチには、哀れな動物が入れられている檻の格子が描かれていた。*7
作者による上記の回想を読んで、猿にまずハンバートを重ねてしまうのは、ハンバートがむしろドロレスの監禁犯である以上グロテスクな振る舞いであらざるを得ない。けれども言葉という彼の絢爛な織物はやはり、そのまま彼を「頭の中」に閉じ込める檻、それとも檻を把捉するための正確な写しだったように思われる。格子の向こうが見えず、他者の心に触れられないまま、人生ばかりめちゃめちゃにして。掲出部は私にとって、言葉を綴ることのそんな華麗と残酷と空虚を照らし出す『ロリータ』という書物の、ひとつの勘所なのだ。
*1:ウラジーミル・ナボコフ、若島正=訳『ロリータ』新潮文庫、2006年、497頁。角括弧[]部分は引用者による注記。
*2:いま私が引用しているのは表紙にMeredith Framptonによる静物画のあしらわれたPenguin Modern Classicsシリーズの一冊の279頁からで、この本自体には1995年Penguin Books
*3:
「誰かが私に言ったのだ/世界は言葉でできていると」という二行分かち書きのフレーズが「補遺」に出てくるが、比重はもちろん一行目のほうにある。
山尾悠子「自作解説」『増補 夢の遠近法 初期作品選』ちくま文庫、2014年、417頁。
*4:「歪んだ」という語それ自体には非難の意図を必ずしも込めていない。また戸籍名を実像と短絡するのも無論不適切で、国家権力の介入の産物を無標と見なすべきではないだろう。後者の論点は、以前の記事の特に注1のあたりで触れたこととおそらく通底する。
*5:『ロリータ』265頁。英文版では"Speak English"、149頁。
*6:私が明智抄の漫画を好きなのは、彼女の生む福島和子=フェアリィやエリザベート・フィスが、この傲慢と孤独を一身に負っているからだ。