当ブログの開設経緯

 ブログを開設することにした。当記事は、このブログの最初の記事となる。

 なぜ開設するかといえば、自身の思考をアウトプットしたくなったからだ。

 私は日々、多少のことを心に思い浮かべる。けれど、記憶力がいいほうではないので、文章として記録しないと、それらは流れ去ってなかったことになってしまう。

 放っておいては流れ去ってしまう思考に、文章という形で実体をあたえ、私の外部に固定すること。それにより、漠然としていた思考を明確にしたり、積みあげたりできるようになること。結果、曖昧だった私自身の、世界に対する姿勢が次第に磨かれていくこと。そのようなことを期待し、私は文章を置く倉庫として、本ブログを設ける。

 以上の開設目的から分かるとおり、このブログはひとまず、読者に益をもたらすことを第一義には置いていない。私の思考を整理して私自身に提示することに主眼を置いている。

 しかしそれならば、わざわざ他人に読めるようインターネット上に公開する必要はないではないか。自分が読めるよう手元のノートにでも書きつけておけば、それでよいはずだ。

 この疑問に対する明確な回答を、私はもたない。ただ、不特定の他者に読まれる可能性を確保することで、文章執筆のモチベーションが向上するという実感がある。もともと言語は他者とのコミュニケーション手段として存在するから*1、宛先となる他者の存在を仮定しないと、どうも言語化の労をとろうという気が起きなくなってくるのだ。もちろん、〈読者としての自分〉〈将来の自分〉を宛先として執筆を継続できる人もいるのだろう。ただ私自身についていえば、日記は続かないたちだ。かといって、現実に私以外の特定の他者が宛先として存在してしまうと、文章はその人のために書かれることとなり、私自身の整理のためという当初の目的と齟齬をきたす。かかる経緯で、インターネット上にブログとして公開することを選んだのだと思う。

*1:10月22日追記:この一言で済まされては反発を覚える人も多いかと思う。当ブログはさっそくこの次回をはじめ、今日まで大半の記事がこの問題を視野に入れているが、とりわけ直截に私の心情を語ったものとして直近の記事をあげておく。