2021-01-01から1年間の記事一覧

バロネス・シライ

前世紀半ばに産み落とされた白井詩乃またはバロネス・シライは七十年の天命を全うし、途上奇抜な事績をあげることとなった。職業的探偵でないにもかかわらずとりわけ前半生において多数の、それも探偵小説的な、殺人事件に遭遇または介入し、うち6件で真犯…

詞華集1

慄然とする暇もなく、坊やは無事なことが分かりました。まさに危機の一瞬に、ちょうどヒースクリフが真下にさしかかったのです。彼は落ちてきたものを反射的に捕まえると、立たせてみてから、こんな事故をひきおこした主は誰なのかと、上を見ました。 宝くじ…

線を何度でも引き直す:こうの史代『夕凪の街 桜の国』

以下の書評には作中の重要な展開に触れる部分がある。可能であれば、なにもこの書評を読むことはない、とにかく本書を紐解いてほしい。 わずか百ページ。書名にある2作(うち「桜の国」は2篇に分かれているので、全3篇構成)の漫画が収められているから、…

脱臼したような:川端康成『雪国』

押すに押されぬ著名作なので安心してふっかけることができるのだが、この作品のよく知られた冒頭は、どうもおかしくはないだろうか。 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」 改案。「長いトンネルを抜けると夜の底が白くなっ…

たしかに二つも入ってゐる:エミリ・ブロンテ『嵐が丘』ほか

声のいゝ製糸場の工女たちが わたくしをあざけるやうに歌って行けば そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が たしかに二つも入ってゐる*1 『嵐が丘』という小説がある(以下同書の物語展開を明かしているので未読の方は注意してほしい)。 運命的な二人の…

時にはまことの話を:酒のこと

私のいるところでは急速に、人間に新たな病が広まっている。人知は一面まったく翻弄されながら、ある局面では私の理解の及ばぬその力能を発揮してもいるようで、ずいぶん早急にvaccineが開発され、感染や重症化を抑えるために皆が接種を進めている*1。 その…

『竜とそばかすの姫』が良かった

人に連れられて、細田守監督の新作劇場アニメーション映画『竜とそばかすの姫』を観たら、すごく良かった。 これまで細田守の作品でちゃんと観たことがあったのは『時をかける少女』だけで、これは作品の存在は認識したまましばらく見ないでいたのを、何かの…

しがらみと無責任について

以下の文章を読むと一定数の人は気分が悪くなる恐れのあることをあらかじめ注記しておく。 いつだって自分は死ぬことができる、無責任にすべてを放り出して死ぬことができるという意識が、少なくともある種の人間にとって安心して生きるために必要なのではな…

打ち出の小槌:森林太郎=訳『諸国物語』

【『二重人格』の書評記事を載せたあと、ドストエフスキーではこれも書いてたな、と思い出して転載。転載にあたり一部表記等を修正した。なんだか楽しそうな文章で、公表を(すなわち読者を)意識した社会性が感じられる。途中「これあるがため本特集で取り…

断章

腹に巣食う小鼓が蹴って私を責め苛む。 * 敷陶板(タイル)を裸足で歩く猫がいて、それを目にしたときの感情が、猫への怒りなのか、この猫がいつか酷い目にあうという暗澹たる予想なのか、判別できなかった。 * もうやめよう。私は(我々は)言葉を人のあ…

世界に相手をしてもらえない:ドストエフスキー『二重人格』

【引きつづき過去の書評の転載。一部表記等を修正している。 対象はドストエフスキー、小沼文彦=訳『二重人格』岩波文庫、1954年第1刷・1981年改版。特集企画のテーマ「セカイ系」をかなり曲解して強引に寄稿した(この曲解については真に受けないでほしい…

楠本まき『KISSxxxx』幸せを語ること

──そしていつまでも幸せに暮らしました。 そんな一文で物語が閉じられるのを初めて聞いたのは、いつだったでしょう。あんまり使い古されていまや本来の意味を失いそれ自体パロディ化してしまったような、たとえば太宰治の「古典風」などを想起してしまう文言…

真面目な狂気:宮沢賢治・後篇「グスコーブドリの伝記」ほか

図らずもいましばらくの紙幅が与えられた。ついては、ネネムをめぐって述べたような言葉の魅力とはまた別の面に触れねばならない。たとえば、作品から浮かびあがる思想や人物、いわば〈宮沢賢治〉の読み解きである。 しかし困ってしまう。私には〈宮沢賢治〉…

魔術的な言葉の自律と強度:宮沢賢治・前篇「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」

個人的な思い出を述べれば、宮沢賢治はおそらく、私が名前を覚え、〈この人の本だから手にとって読む〉ことをした最初の作家だった。そして、読書とは目の前に異物として存在する言葉にとらわれそれを(作者の思惑など関係なく)味わい尽くす営みなのだ、と…

真理から剥離する表層:三島芳治『レストー夫人』におけるフキダシ

【三島芳治『レストー夫人』から、表題作および併録短篇「七不思議ジェネレーター」の展開の重要部分を明かしているので、未読の方は注意してほしい。 前々回につづいて以前ブログとは別に書いた文章の転用で、元は学校の授業で課された小論文だった。最近ま…

ブログの更新頻度について

結論からいうと、つぎにこのブログに新規記事を投稿するのがいつになるか、よく分からない。 もっとも、記事投稿はこれまでも不定期だったから、その意味では変化はない。ただ、いま前回投稿からの経過日数がすでに最長に達しており、しかもなおしばらく投稿…

レベッカ・ブラウン『私たちがやったこと』愛の自家中毒

【以前の「眼と首」につづいて、昔書いた、悪くないと思っている文章をブログに転用する。もっとも、まったく契機なく書いて事実世に出ていなかった前回の随筆と異なり、こちらは一度曲がりなりにも公表したことのある書評だ。書評には860字という制約があっ…

西岡兄妹『花屋の娘』そのうえなぜ言葉などに

『花屋の娘』は絵本だ。作者の西岡兄妹は雑誌『ガロ』系統の漫画家として知られるが、それら漫画については私はうまく読めずに、ただ本書だけを手元に置いている。 一応、以下では本書の展開をすべて明かしていることを、あらかじめ記しておく。 あるところ…

憲法制定権力

私はいわゆる文学が好きなつもりで、つまり言葉を好んでいるので、当然法というものにも好意を寄せている。 という一文は、さすがに説明が足りないのだろう。法は、掟といってもよいが、ある社会のなかで共有されている、守られるべきルールだ*1。同じくルー…

無題

昨日投稿した記事はどうもあまり良くなかったのではないかという気分が体のうちに溜まっている。 もともとしっくり来てはいなかったのだが、書けそうだったのでまあ書こうと思って書いて投稿したのである。私は元来活力がないので、通常迷うと行動しない、世…

土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』

土井隆義『キャラ化する/される子どもたち──排除型社会における新たな人間像』を読んだ。2009年に出た、たった63頁の本だ。2016年には大学入試センター試験の国語第1問に出題されている。 通っていた学校の図書室で教員の推薦図書として面陳列されており、…

『星の王子さま』

今日記事を投稿しないと今月記事を投稿しなかったことになる。せっかくなので急いで書く。日付のような恣意的な数字に左右されるのはよくないことのような気がするけれど、一方で、そういう表層的なところで左右されてしまうのはある意味私好みなのではない…