土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』

 土井隆義『キャラ化する/される子どもたち──排除型社会における新たな人間像』を読んだ。2009年に出た、たった63頁の本だ。2016年には大学入試センター試験の国語第1問に出題されている。

 通っていた学校の図書室で教員の推薦図書として面陳列されており、題名にも惹かれるものがあったので、読まないまま存在自体は長いこと認識していた。今さら読むことにしたのは、伊藤剛キャラ/キャラクター*1の濫用例を確認しておきたかったという、はなはだ失礼な動機からである。もっとも実際に読んでみたところ、本書では「最近の若い人たちがよく使用する「キャラ」という言葉」*2キーワード化されているのであり、22頁に伊藤への言及はあるものの、本質的には伊藤の論を参照していないのではないかと思う。

 本書自体の感想に移ると、率直にいって、読んでいるあいだ本書が何をしたいのかよく分からず、ただ漠然とした不信が募って困った。読み終えたあとどうしたものかと書を弄ぶうちふと副題を確認し、はじめて本書の内容と不信の原因とを整理できた。

 本書は「排除型社会における新たな人間像」という副題をもつ。さてこの副題は、「排除型社会」への適応として「キャラ」という「新たな人間像」が生まれたことを主張しているのだろうか。それとも、「新たな人間像」が「排除型社会」を生んだと主張しているのだろうか。もちろんこれは鶏が先か卵が先かという問題で、簡単に一方が正解で他方が誤りだなどと言えはしない。しかし、どちらの側面に主眼を置くかで、事態への対応として選ぶアプローチは変わってくる。もし〈両者は相補的で、どちらに起因するなどとはいえない〉と殊更に主張する場合には、対応の提案もそれに応じてなおさら、簡単に言えなくなるはずだ。

 本書には、「社会」が「人間像」を生むのだ、という観点も散見される。とくに前半では、それこそ「物分かりのよい教師」(44頁)然として、キャラ化に走るのには価値観の多元化という理由があるのだとか、昔のほうが良かったといっているのではないとか、補足してくれる。だが補足が萌芽として散らかるばかりだ。総体としてはむしろ、おそらくは補足にあぐらをかいたために一層、「人間像」を抱く個々人の心性に「排除型社会」の責めを負わせる論調が色濃い書になってしまっている。
 たとえば筆者は、教育が人格陶冶でなくサービス業と見なされるようになったのは、人格を成長するものではなく固定的なキャラとしてイメージする、親たちの「心性」が原因だと説く(41頁)。そしてその傍証について、さらには教師側に見られる同種の心性について、記述を連ねていく。しかし、殊更に「心性」を原因と書きたててさらなる原因へ遡行しないのは、不誠実だろう。普通に考えれば教育がサービス業とみなされるようになった原因は「新自由主義の浸透」(61頁)であって、「心性」は中間項に過ぎない。
 また筆者は昨今の、犯罪の原因を社会環境ではなく純粋に生来的な「個人属性」(49頁)に求め、犯罪者をモンスターとして排除しようとする風潮を憂いている。しかし、それを「昨今の風潮」(47頁)「今日の私たちの心性」(48頁)と呼び批判して済ませる筆者の姿勢は、自身が憂えている対象と何が違うのか。「心性」も社会環境のなかで育まれるものであって、社会的制度的な提案もまともにないままそれ自体を原因視されても困る。「異種混交の人間関係」を「意図的に」紡げ(60頁)、「キャラに囚われずに目を見開」け(62頁)、などと個人道徳を語られても、筆者にならって「個人責任しか問わないのでは、ものごとの反面しか見ていないことになります。それでは結局、被害者を増やさないために真に有効な治安対策を練ることもできないでしょう。」(51頁)と返すほかない。

 もちろん個人道徳を説くことが常に一切役立たないとはいわない。それこそ、長期的関係を築いた具体的な大人が具体的な子どもの人格陶冶に及ぼしうる影響力の強さを思えば、そのような教育の場においては個人道徳を説くことがときに有効かもしれない。しかしこれは不特定多数に向けた、社会学の説明文である。自身の有効性をもっとも活かせるのがその方途なのか、またその方途を行くなら行くでもっと書き方がないか、自問したのだろうか。たとえばこの本は、提案の宛先が子どもなのか大人なのか両方なのか、ちゃんと想定して書かれているのだろうか。一読者の感想だが、私にはそうは思えなかった。

 繰り返しになるが、社会的観点も散在はしている。一九八〇年代なかば中曽根政権下で登場した「個性の重視」という教育理念が、消費資本主義社会の到来に伴う産業界の要請に「迫られ」(14頁)たものである、と当然のように言い捨てるあたりは小気味よかった。

 

【2月10日追記:無題 - 人間の話ばかりする

*1:以前こちらの記事の注6で紹介している。

*2:土井隆義『キャラ化する/される子どもたち──排除型社会における新たな人間像』岩波ブックレット、2009年、3頁。以下、同書からの引用については頁数を丸括弧()に入れて本文中に記す。