断章

 腹に巣食う小鼓が蹴って私を責め苛む。

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 敷陶板タイルを裸足で歩く猫がいて、それを目にしたときの感情が、猫への怒りなのか、この猫がいつか酷い目にあうという暗澹たる予想なのか、判別できなかった。

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 もうやめよう。私は(我々は)言葉を人のあいだで使わなくてはいけない。

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 向こうから服を着たマンが……これは嘘だ、服を着た女がやってくる。どこかで呼び鈴アベルをつけた硝子戸の閉まる音がする。

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 どこかで呼び鈴をつけたガラス戸の閉まる音がする。客が店を出たのだ。いつのまにか舗装路のさきから沈んだ色合いの服を着た女がやってきていて、進路の私に近づくと、突きだした両の手をひらく。分かりますか、と女は言う。潤いの少ないそのてのひらには金の指輪がひとつ載っていて、かすかにすえた体臭がする。石の付属や幅の変化のない、純化された姿の指輪だった。指輪です。指にはつけていないわけですがね。突き出された掌をのぞきこむ形となった私は、そのとき目に埃が入ったような気がしてしばたたいた。同時にやわらかな風が私の頭髪のうちを通りぬけて、それからやんだ。なぜ円形をしているのか分かりますか。それが完全な形だからです。対称性において。材質も美と耐久性を意識したはずのものでした。しかしにもかかわらず、これは指輪を名乗る。「指」と「輪」などと並べるのが、奇妙ではありませんか。あなたはご存知でしょうか、指というのは完全な位置にはないのですよ。むしろ末端にあるわけです。少なくとも人体においてはね。想像してみてください、指輪が指につけられたところを。自足の象徴だった指輪はいまや輝きを失い、だらんと垂れた腕の先で、瞑目して死を待っています。その場所は指輪にふさわしい座ではないのですよ。指なのにね。独白に近い内容に沿い、声音も対者への意識を感じさせないささやくようなものでありながら、不思議と伝達に齟齬はなく、女はほとんど沈黙のように雄弁だった。ならば指を指輪に見合った座とするにはどうすればよいのか。「首に提げるのはどうですか」私は急いで口をはさむ。「ネックレスです。いや、ペンダントというほうが正確なのかな……」女は首をかしげ、容喙のあいだ儀礼的に待ってから、独語を再開する。指をね、体の正面に伸ばして、何かを指せばよいのですよ。指すとき、指が、場の中心となります。もちろんこのとき、使える指は人差し指に限られることになる。指輪をつけた者は、人を差すことになるのですよ。指し、射し、刺すことにね。

 それから女は接合させていた両手を離し、指輪は右の──つまり、女自身から見れば左の──掌に収まった。指が一瞬のうちに折り込まれ拳が回転とともに引きとられ、女のもとにかえっていく。それでは、と私の脇を過ぎて歩きだした女が挨拶にあげたらしい右手の甲が、追って振り向いた私の目に気だるそうにひらひら揺れて、すぐに下げられた。

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 遠くを自動車の赤がよぎった。違う、また間違えた。色は本質的な情報ではない。私は視覚に頼りすぎている。

 女が指輪について語るのをやめたので、私は歩きながら、ようやく彼女自身について考えることができていた。あの老婆にもかつてあったのだ、と私は思う、たとえば四十代だったころが。けれども彼女はなぜ、私などにむかって丁寧語で話したのだろう。私はといえば、幼く生気のない二十代に過ぎなかった。

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 やわらかな風が私の頭髪を吹きぬける。そのとき痛みを感じて私は目を瞑る。陽射しが私の肌をひっそり焼いているのを感じる。ひっそり、というのは私の責任を隠した言い方だ。幼いときもそうだった。私は陽射しに気づいていたのに、これがいわゆる日向ぼっこというものなのか、これを苦痛といってよいのか分からなくて、どこか心地いいようにも感じながら、己の肌がじわじわ焼かれるにまかせていた。

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 積み上げられた人工の居住空間を縦断すべく、短期の曲折を繰りかえして事実上は垂直に伸びていく混凝土コンクリートきざはしをのぼりながら、私は眠るように焦燥に囚われる。地形の隆起に沿うのでもなしにこんな不自然がまかりとおっているのはなぜだろう。どうして水平でもなく垂直に拡がろうとするのだろう。積み上げられた空間にしがみつこうとしながら、曲折の繰りかえしに崩れて私の思考は出口を見失う。鼓が私を蹴りあげる。私も囚われているのに、鼓を包んで縮めているのは私だと、早くここから出せと、私を吸い上げながら喜んでいる。

 真昼だ。

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 河原の風にいつまでも長草ちょうそうが流れていた。鳥葬が……