個人的な思い出を述べれば、宮沢賢治はおそらく、私が名前を覚え、〈この人の本だから手にとって読む〉ことをした最初の作家だった。そして、読書とは目の前に異物として存在する言葉にとらわれそれを(作者の思惑など関係なく)味わい尽くす営みなのだ、と教えてくれた作家だった。
本作をはじめて読んだときのことは忘れがたい。「〔冒頭原稿数枚焼失〕のでした。」という始まりも衝撃的だが、どうも以前読んだ、明らかに別の文章についての記憶と、ストーリー展開がかぶるのである。読み始めてすぐ、何が起きているんだ、と頭を抱えた。そう、実は本作は同著者の「グスコーブドリの伝記」の先行形態だったのだ。
しかも、にもかかわらず一文字も読み飛ばす気にならない。語りの違いによって完全に別物になっているからだ。「実際、東のそらは、お「キレ」さまの出る前に、琥珀色のビールで一杯になるのでした。」おそらく太陽を指すが説明なしに繰り返されるこの「お「キレ」さま」の語が、本作の舞台が「ブドリ」と違うばけものの世界であることを証明している。独自のオノマトペに典型的な、賢治の言葉の自律性と強度。それがノンセンスの精神ゆえに前面に出たのが本作なのだ。「ああありがとうございます。六ノット六チェーンならば、私が一時間一ノット一チェーンずつあるきますと六時間で参れます。一時間三ノット三チェーンずつあるきますと二時間で参れます。すっかり見当がつきまして、こんなうれしいことはありません。」「ブラボオ。フゥフィーボー先生。ブラボオ。」はては原稿焼失のような作者の想定外の要素までが、言葉を、単なる物語の伝達装置でなく生きたひとつの実在として輝かせ、読者は「〔以下原稿なし〕」まで夢中で駆け抜けることになる。
もちろん賢治の魅力はこれで終わりではない。たとえば、一見落ち着いた「ブドリ」にこそ、ファンタジーに安住せず、実現されるべき未来として科学さえ飲み込み幻想を描いた賢治の真面目な狂気が横溢している(そこでは、太陽をお「キレ」さまと呼ぶかわりに稲をオリザと呼ぶ)。破格の作家である。
【以上は、『私たちがやったこと』の記事と同じ書評企画で行われた、宮沢賢治の作家特集に寄せた書評(数文字修正した)。書評対象短篇「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」を収める書籍の例としては、宮沢賢治『ポラーノの広場』新潮文庫、1995年。
このときの特集には当初これ一本だけ寄稿の予定だったのが、急遽穴埋めの必要が生じたため、この記事の続きとして最終段落に顔を出している「グスコーブドリの伝記」や詩を題材にもう一本書いた。最終段落を補足しておくと、「オリザ」という表現は稲の学名にもとづいている*1。つまり「ネネム」では空想の異界を描いていた作家が、「ブドリ」ではもはや空想を語るのでなく、科学の目によって目の前の現実世界をそのまま異化しているのだ。というわけで、次の記事は宮沢賢治・後篇である。】